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「例え話」の落とし穴 マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」に見る『これからの「正義」の話』

 2010年ごろ、マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」が大流行で、ブログ記事にも多くのコメントが入りました。ただ、多くがプロキシを使ったインチキコメントだったことが、後でわかりました。
 ハーバードは、知識レベルが高いということになっていますが、この教室の討論を見ると、そうでもないことがわかります。

2012.01.10 Tuesday
この記事は、1年以上前のものですが、何故か今頃になってコメントが入っておりますので、日付を改めて掲載させていただきます。

2010.09.22 Wednesday

「例え話」の落とし穴 マイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」に見る『これからの「正義」の話』



夏休みの間見ていたテレビ番組「ハーバード白熱教室」について、南華密教の立場から考えててみたいと思います。

この「教室」は、米ハーバード大学で最高の人気を誇るもので、
マイケル・サンデル教授の授業は、「JUSTICE(正義)」である。現代の難問をめぐって、世界選りすぐりの知的エリートが議論を闘わせる。門外不出の原則を覆し、初めて公開されるハーバードの授業。


とのことです。

サンデル教授の本は、日本でも出版されており、人気になっているようです。

http://www.hayakawa-online.co.jp/product/books/112569.html
『これからの「正義」の話をしよう いまを生き延びるための哲学』Justice マイケル・サンデル(著) 

「ハーバード白熱教室」NHK教育テレビにて放送中(2010年4月4日~6月20日、毎週日曜18:00~19:00、全12回)。金持ちの税金を貧者に分配するのは公正か。前の世代が犯した過ちについて、私たちにつぐないの義務はあるか。個人の自由と社会の利益はいかにして両立可能か──豊富な実例で古今の哲学者の思想を解きほぐす。アメリカ現代思想界の雄による、ハーバード大学史上最多の履修者数を誇る超人気講義。
推薦:宮台真司氏

1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか? 金持ちに高い税金を課し、貧しい人びとに再分配するのは公正なことだろうか? 前の世代が犯した過ちについて、私たちに償いの義務はあるのだろうか――。
つまるところこれらは、「正義」をめぐる哲学の問題なのだ。社会に生きるうえで私たちが直面する、正解のない、にもかかわらず決断をせまられる問題である。
哲学は、机上の空論では断じてない。金融危機、経済格差、テロ、戦後補償といった、現代世界を覆う無数の困難の奥には、つねにこうした哲学・倫理の問題が潜んでいる。この問題に向き合うことなしには、よい社会をつくり、そこで生きることはできない。
アリストテレス、ロック、カント、ベンサム、ミル、ロールズ、そしてノージックといった古今の哲学者たちは、これらにどう取り組んだのだろう。彼らの考えを吟味することで、見えてくるものがきっとあるはずだ。
ハーバード大学史上最多の履修者数を記録しつづける、超人気講義「Justice(正義)」をもとにした全米ベストセラー、待望の邦訳。

■マイケル・サンデル
Michael J. Sandel
1953年生まれ。ハーバード大学教授。ブランダイス大学を卒業後、オックスフォード大学にて博士号取得。専門は政治哲学。2002年から2005年にかけて大統領生命倫理評議会委員。1980年代のリベラル=コミュニタリアン論争で脚光を浴びて以来、コミュニタリアニズムの代表的論者として知られる。主要著作に『リベラリズムと正義の限界』、『民主政の不満』、Public Philosophyなど。類まれなる講義の名手としても著名で、中でもハーバード大学の学部科目「Justice(正義)」は、延べ14,000人を超す履修者数を記録。あまりの人気ぶりに、同大は建学以来初めて講義を一般公開することを決定、その模様はPBSで放送された。この番組は日本では2010年、NHK教育テレビで『ハーバード白熱教室』(全12回)として放送されている。 



1人を殺せば5人が助かる状況があったとしたら、あなたはその1人を殺すべきか?

これについては、上記の本の第一章がWEB上に公開されています。
『これからの「正義」の話をしよう』第1章ダウンロード


  暴走する路面電車

 あなたは路面電車の運転士で、時速六〇マイル(約九六キロメートル)で疾走している。前方を見ると、五人の作業員が工具を手に線路上に立っている。電車を止めようとするのだが、できない。ブレーキがきかないのだ。頭が真っ白になる。五人の作業員をはねれば、全員が死ぬとわかっているからだ(はっきりそうわかっているものとする)。
 ふと、右側へとそれる待避線が目に入る。そこにも作業員がいる。だが、一人だけだ。路面電車を待避線に向ければ、一人の作業員は死ぬが、五人は助けられることに気づく。
 どうすべきだろうか? ほとんどの人はこう言うだろう。「待避線に入れ! 何の罪もない一人の人を殺すのは悲劇だが、五人を殺すよりはましだ」。五人の命を救うために一人を犠牲にするのは、正しい行為のように思える。

 さて、もう一つ別の物語を考えてみよう。今度は、あなたは運転手ではなく傍観者で、線路を見降ろす橋の上に立っている(今回は待避線はない)。線路上を路面電車が走ってくる。前方には作業員が五人いる。ここでも、ブレーキはきかない。路面電車はまさに五人をはねる寸前だ。大惨事を防ぐ手立ては見つからない──そのとき、隣にとても太った男がいるのに気がつく。あなたはその男を橋から突き落とし、疾走してくる路面電車の行く手を阻むことができ
る。その男は死ぬだろう。だが、五人の作業員は助かる(あなたは自分で跳び降りることも考えるが、小柄すぎて電車を止められないことがわかっている)。
 その太った男を線路上に突き落とすのは正しい行為だろうか? ほとんどの人はこう言うだろう。「もちろん正しくない。その男を突き落とすのは完全な間違いだ」
 誰かを橋から突き落として確実な死に至らしめるのは、五人の命を救うためであっても、実に恐ろしい行為のように思える。しかし、だとすればある道徳的な難題が持ち上がることになる。最初の事例では正しいと見えた原理──五人を救うために一人を犠牲にする──が二つ目の事例では間違っているように見えるのはなぜだろうか?
 最初の事例に対するわれわれの反応が示すように、数が重要だとすれば、つまり一人を救うより五人を救うほうが良いとすれば、どうしてこの原理を第二の事例に当てはめ、太った男を突き落とさないのだろうか。正当な理由があるにしても、人を突き落として殺すのは残酷なことに思える。しかし、一人の男を路面電車ではねて殺すほうが、残酷さが少ないのだろうか。
 突き落とすのが間違っている理由は、橋の上の男を本人の意思に反して利用することかもしれない。何しろ、彼は事故にかかわることを選んだわけではない。ただそこに立っていただけなのだ。
 しかし、待避線で働いていた作業員にも同じことが言えるだろう。彼もまた事故にかかわることを選んだわけではない。ただ仕事をしていただけで、路面電車が暴走した場合に自分の命を捧げると申し出たわけではない。鉄道作業員は傍観者がとらないリスクを進んでとるものだという意見があるかもしれない。しかし、緊急時に自分の命を捨てて他人の命を救うことは職務記述書に書かれていないし、自分の命を投げ出す気があるかどうかは、橋の上の傍観者であろうと作業員であろうと変わりはないものとしよう。



 随分と無理な設定をしたものです。
 暴走する電車は誰かを轢き殺せば止まるのでしょうか。
 実際の列車暴走事故では、人を轢いたくらいでは列車を止めることができず、どうやって安全に止めるかが最大の問題になります。これは、脱線・衝突により、乗客・乗員・近隣の住民などを巻き込む大惨事を起こす恐れがあるためです。
 ただし、この例え話では、大男を列車の前に落とせば、電車が止まることになっていますから、誰かが死ねば列車が止まる、という前提と理解しておきます。
 そうでないと、暴走する電車をより安全に止めるためには、人がいようがいまいが、待避線へ電車を入れるのが当然のはずです。

 これでようやく、5人を選ぶか1人を選ぶか、という選択に入れるわけですが、先の例を見ると、5人は線路上で作業をしている作業員、1人の方も線路上で作業をしている作業員です。
 線路の作業員であれば、危険は熟知しているはずですが、この電車はブレーキだけでなく、無線や警笛なども壊れていて、作業員に危険を知らせることができないものと考えられます。
 しかし、作業員らは線路上で作業をしているのですから、当然、見張りを立てるとか、注意義務もあるはずです。
 そのように考えると、5人と1人の条件は全く同じであり、そこにいる事の責任の度合いも全く同じと言えるはずです。
 つまり、5人殺すか1人殺すかを選択する、という場合、他の条件が等しければ、という前提が絶対条件であり、他の条件が同一でない場合は、人数の問題では無い、ということが分かります。
 もっと分かりやすく言えば、例えば、1人の方が、作業員では無く、小さな子供だった場合でも、5人か1人かの問題として選択できるのでしょうか。
 つまり、後の例のほうで、1人の大男を突き落とせば5人が助かる、と言っても、この大男は、線路上にいたわけではないし、5人が死ぬことに関して、何の責任もありません。
 後の例について、誰もが、責任の無い傍観者を犠牲にすることは間違っている、と考えるのは当然の事で、サンデル教授の言い分より、一般人の常識のほうが正しいのは明らかです。

 突き落とすのが間違っている理由は、橋の上の男を本人の意思に反して利用することかもしれない。何しろ、彼は事故にかかわることを選んだわけではない。ただそこに立っていただけなのだ。
 しかし、待避線で働いていた作業員にも同じことが言えるだろう。彼もまた事故にかかわることを選んだわけではない。ただ仕事をしていただけで、路面電車が暴走した場合に自分の命を捧げると申し出たわけではない。鉄道作業員は傍観者がとらないリスクを進んでとるものだという意見があるかもしれない。しかし、緊急時に自分の命を捨てて他人の命を救うことは職務記述書に書かれていないし、自分の命を投げ出す気があるかどうかは、橋の上の傍観者であろうと作業員であろうと変わりはないものとしよう。

 

 ここで、サンデル教授は「まやかし」を使っています。まるで、「作業員」や「大男」が犠牲になるかどうかを選択できるかのような言い方をしていますが、実際に選択するのは、先の例では運転士であり、後の例では、関係者ですらない傍観者の「小男」です。
 この「小男」は自分が犠牲になっても電車が止まらないからと言って、同じ傍観者である「大男」に犠牲を強いようとしています。少しでもこの「小男」が正義であるためには、「大男」だけを犠牲にするべきではなく、自分も一緒に飛び降りる、という選択があるはずです。そうすれば、「大男」1人よりは、より確実に列車を止めることができるはずですし、2人の犠牲で5人が助かるなら、数の選択としても成り立ちそうです。

 「自分の命を投げ出す気があるかどうかは、橋の上の傍観者であろうと作業員であろうと変わりはない」

 と言うのは、自分の命を投げ出したときに始めて言えることであり、他人を殺しても良い、という理屈ではありません。
 それに、先の例の運転士は、その立場に於いて、明らかに選択を迫られていますが、後の例の「小男」は、傍観者であり、自分勝手に、つまり主観的に選択を迫られているだけで、誰かがこの男に選択を迫っているわけではありません。


このような「まやかし」は、次の「アフガニスタンの山羊飼い」においても見受けられます。


  アフガニスタンのヤギ飼い

 さて、実際に生じた道徳的ジレンマについて考えてみよう。これは暴走する路面電車の架空の話にいくつかの点で似てはいるが、事態がどう進展するかがはっきりわからない点でもっと込み入っている。
 二〇〇五年六月、アフガニスタンでのこと。マーカス・ラトレル二等兵曹は、米海軍特殊部隊のほかのメンバー三人とともに、パキスタン国境の近くから秘密の偵察に出発した。任務はオサマ・ビン・ラディンと親交の深いあるタリバン指導者の捜索だった。情報によれば、目標とする人物は一四〇ないし一五〇人の重武装した兵士を率いており、近寄ることの困難な山岳地帯の村にいるとのことだった。
 特殊部隊が村を見降ろす山の尾根に陣取ってまもなく、一〇〇頭ほどのヤギを連れた二人のアフガニスタン人農夫と一四歳くらいの少年に出くわした。武器は持っていないようだった。
米兵たちは彼らにライフルを向け、身振りで地面に座るよう命じ、どうすべきか話し合った。
このヤギ飼いたちは非武装の民間人らしい。とはいえ、もし解放すれば米兵の存在をタリバンに知らせてしまうリスクがあった。
 どんな方策があるかを考えながら、四人の兵士はふとロープを持っていないことに気づいた。
そのため男たちを縛りあげ、新たな隠れ家を見つけるまでの時間を稼ぐことはできなかった。
選択肢は、男たちを殺すか解放するかのどちらかしかなかった。
 ラトレルの戦友の一人は殺すことを主張した。「われわれは敵陣に潜んで作戦を遂行中だ。ここには上官の命令で送り込まれた。自分たちの命を救うためなら、あらゆることを行なう権利を持っている。軍人として何を決定すべきかは明らかだ。彼らを解放するのは間違っている」。
ラトレルは迷った。「心のなかでは彼が正しいとわかっていた」とラトレルは回想記に書いている。「どう考えてもヤギ飼いを解放するわけにはいかなかった。しかし困ったことに、私にはもう一つの心があった。キリスト教徒としての心だ。それが私にのしかかっていた。武器を持っていないこの男たちを冷酷に殺すことは間違っていると、何かが心の奥でささやき続けていた」。
キリスト教徒の心とは何を意味するのか、ラトレルは述べていない。だが結局、彼の良心はヤギ飼いたちを殺すことを許さなかった。ラトレルは解放すべしというほうに事態を決する一票を投じた(三人の戦友のうち一人は投票を棄権した)。ラトレルはその一票を悔やむことになる。
 ヤギ飼いたちを解放して一時間半位した頃、四人の兵士はAK48自動小銃や携行式ロケット弾で武装した八〇人から一〇〇人ほどのタリバン兵に包囲されていることに気づいた。その後の激しい銃撃戦で、ラトレルの三名の戦友は全員戦死した。そのうえ、ラトレルたちシールズ・チームを救出しようとしたヘリコプターも撃墜され、一六人の兵士が命を落とした。
 ラトレルは重傷を負ったが、かろうじて生き延びた。山腹を転がり落ちると、一二キロメートル近くを這ってあるパシュトゥーン族の村にたどり着いたのだ。村人たちは救助が来るまでラトレルをタリバンから守ってくれた。
 当時を振り返り、ラトレルはヤギ飼いたちを殺さないとした自分の投票を責めた。「これまでの人生において、最も愚かで、馬鹿馬鹿しく、間の抜けた判断だった」と、ラトレルはその出来事について書いている。「頭がおかしかったに違いない。墓穴を掘るとわかってる一票を実際に投じてしまったのだから……とにかく、いまはその時をそんなふうに思い出している……決定票を投じたのは私だ。東テキサスの墓地に安らぐまで、その事実は私をさいなむことだろう」
 兵士たちのジレンマを難しくした要因の一部は、アフガン人を解放したらどうなるか、はっきりしないことにあった。彼らはそのままヤギを追っていくだけか、それともタリバンに知らせるか、その点が不明だったのだ。だがラトレルが、ヤギ飼いを解放すれば悲惨な戦闘を招くことになり、結果として一九人もの戦友が命を落とし、自分も負傷し、任務は失敗すると知っていたらどうだろうか。ラトレルは違う決定を下していただろうか。
 いま考えれば、ラトレルにとって答えは明らかだ。ヤギ飼いたちを殺すべきだったのだ。その後の惨劇を考えれば、異議を唱えるのは難しい。数の点から見ると、ラトレルの選択は路面電車の例に似ている。三人のアフガン人を殺せば、三人の戦友と、救出にきた一六人のアメリカ兵の命は助かっただろう。だが、路面電車の物語のどれに似ているだろうか。ヤギ飼いを殺すことは路面電車のハンドルを切るほうに似ているだろうか、それとも、太った男を橋から突き落とすほうに似ているだろうか。危機を予期していながら、それでも武器を持たない民間人を冷酷に殺す気になれなかったという事実は、突き落とす例により近いだろう。



 サンデル教授は、「ヤギ飼いたちを殺すべきだったのだ。」と言っています。また、「数の点から見ると、ラトレルの選択は路面電車の例に似ている。三人のアフガン人を殺せば、三人の戦友と、救出にきた一六人のアメリカ兵の命は助かっただろう」とも言っています。本当でしょうか?
 これを真実と言えるためには、助けた三人のヤギ飼いが、タリバンにアメリカ兵の事を知らせ、そのために、多くのアメリカ兵が犠牲になったことが証明されていなければなりません。が、もちろんそんな事は分かるわけがありません。
 また、それ以前の問題として、アメリカ軍がアフガニスタンに居る事は正当であり、タリバンは皆殺しにするべきであり、タリバンに味方するアフガン人は、民間人であっても殺して良い、という前提に基づかなければ、三人の羊飼いを殺したほうが良い、という結論は有り得ません。
 もう一つ、ラトレルという兵士が助かったのは、アフガン人が彼を匿ってくれたから、ですが、どうして匿ってくれたのでしょう。
パシュトゥーン族はタリバンと対立している?いいえタリバン兵の多くはパシュトゥーン族です。いずれしろ、危険を冒してまでアメリカ兵を助けてくれるものでしょうか?ヤギ飼いたちを殺さなかったから、アフガン人たちが彼を助けてくれた可能性は無いのでしょうか?
 この辺が、日本的というかアジア的な感覚というものかも知れません。つまり、因果応報とか、善行はいつか報われる、という考え方です。
 ラトレルはアメリカ人でキリスト教徒なので、そのような感覚は持ち合わせていないのかも知れませんが、聖書でも「良きサマリア人」の譬えのように、行きずりの人も隣人であり、隣人に対して善行を施すことは当然という考え方です。「キリスト教徒の心」とはそのような意味のはずです。
 もっともこのケースでは、助けれくれたパシュトゥーン族こそが「良きサマリア人」と言うべきかも知れません。

 しかし、もしラトレルたち4人のアメリカ兵が、3人の羊飼いを殺してしまったとしても、それを責めることができるでしょうか。
 アメリカ軍の進攻が正しいかどうかは別として、現実に命の危険があるのですから。
 また、ラトレルは、ヤギ飼いを殺さなかったことを、痛く後悔しています。
 しかし、ヤギ飼いを殺しても、やはり戦闘が起きて、同じように多くのアメリカ兵が死んだかもしれません。その場合に、子供を含む3人のヤギ飼いを殺してしまったことを後悔しないでいられるのでしょうか。
 さらに、ヤギ飼いを殺さないという決断は、4人の多数決に従ったもので、自分の決めたこととは言い切れません。

 サンデル教授がおかしいのは、アフガンの例と電車の例を、死者の数による選択の問題であるかのように言い繕っていることです。


 三人のアフガン人を殺せば、三人の戦友と、救出にきた一六人のアメリカ兵の命は助かっただろう。だが、路面電車の物語のどれに似ているだろうか。ヤギ飼いを殺すことは路面電車のハンドルを切るほうに似ているだろうか、それとも、太った男を橋から突き落とすほうに似ているだろうか。危機を予期していながら、それでも武器を持たない民間人を冷酷に殺す気になれなかったという事実は、突き落とす例により近いだろう。 とはいえ、ヤギ飼いを殺すことには、太った男を橋から突き落とすことよありもいくらか強い論拠があるように思える。これはわれわれが──結果から見て──ヤギ飼いを無辜の傍観者ではなく、タリバンのシンパではないかと疑っているせいかもしれない。


 なぜ「大男」よりも、ヤギ飼いを殺すほうが論拠があるのでしょう。
 タリバンならいくら殺しても構わないのでしょうか。
 戦場だから仕方がないのでしょうか。
 3人殺しても20人助かるからでしょうか。
 
 

 それでは最初に述べたように、南華密教の立場からこの問題に答えてみましょう。
 
 密教の「密」とは、「秘密」の「密」ではなく。「緊密」の「密」という意味があります。
 何が「緊密」かと言えば、仏教において「有」「空」「識」という理論を統合したのが「密教」であり、あらゆる知識を緊密に組み合わせて、あらゆる事柄に対応できるという思想です。
 「有」とは、あらゆる事象は「分類」によって理解できる、とする考え方で、逆に言うと、「我」のように、分類できないものは、存在しえない、とする考え方です。
 「空」とは、あらゆる事象は、「関係」によって認識されるものであり実体は無い、つまり実在を直接認識できるわけでは無い、という考え方です。
 「識」とは、あらゆる事象は、「認識」されることによって、事象として存在する、つまりあらゆる存在とは、認識に過ぎない、という考え方です。
 「有」「空」「識」は、それぞれ別々の考え方ですが、「有」によって分類しているものは、実は事象そのものを分類しているのではなく、事象の「関係」を分類してるものであり、「関係」というのは、例えば、親子という「関係」は、親子という「認識」でもありますから、「関係」とは「関係を認識すること」でもあります。
逆に、親子という「認識」は、親子という「関係」から成り立つものであり、親子という「関係」は、親子という「分類」から、そのように「認識」できるものです。
 つまり、「有」「空」「識」というのは、切っても切り離せない、非常に「緊密」な関係であることが理解できます。
 逆から言うと、ある人の「認識」を決定するものは、「関係」と「分類」に負うものと言えます。
 また、別な言葉で言うと、ある人の「認識」を決定するものは、その人の「立場」に因る、と言い換えることもできます。


 アメリカ兵らが、3人のヤギ飼いを殺したとしても非難されないのは、アフガン戦場で命令に従って動いているアメリカ兵、という彼らの立場では、できることはあまり無いことが誰でも理解できるからで、3人殺して19人を救えるからという数の問題ではありません。
 逆に、助けてくれたアフガン人への感謝も無く、ヤギ飼いがタリバンに知らせたという思い込みだけで、殺さなかったことを後悔して苦しむのは非常に馬鹿げたことです。
 人間が、後悔して苦しむのは、「煩悩」によるものであり、知っている通りに行動できさえすれば、苦しむことが無くなります。これを「悟り」と言います。


 ブレーキの壊れた路面電車の運転士が、5人の作業員を選ぶか、1人の作業員を選ぶか、という場合、他の条件が等しければ、犠牲の少ないほうを選ぶ、というのは、十分に根拠のあることですが、他の条件が等しい、ということは実際には滅多にあるものではありません。つまり、純粋に死亡者の人数だけによる選択、という場面は、ほとんど有り得ません。
 運転士は、運転士という立場で、専門家として最善の選択をしなければなりません。つまり、知っている通りに行動するべきです。

 「大男」を突き落とせば、5人を助けることができる「小男」について言えば、知っている通りに行動するとして、どうして「大男」1人を殺せば電車が止められることを知っているのでしょうか。それは設定だからそれでも良いということにしても、「小男」は「大男」が電車の運行に関して何の責任も無いことを知っているはずですし、逆に5人の作業員や運転士には、多少なりとも責任があることも知っているはずです。
 作業員は、線路上で働くことについて、危険があることを当然知っており、連絡がなかったとしても、常に注意を怠るべきではありません。
 「小男」は、どうして責任の無い「大男」を殺して、責任のある作業員を助けたいのでしょうか。
 作業員の中に、好きな人間が含まれていたり、「大男」が嫌いな人間である可能性は無いのでしょうか。
 どちらも見ず知らずの人たちだったとしても、人間の好き嫌いというのは、一瞬にして生ずるものです。特に「小男」にとって「大男」は、それだけで嫌いな人物であることは大いにありうることです。
 逆に、もし「大男」が最愛の息子であっても、見ず知らずの作業員を救うために突き落とすことができるのでしょうか。
 

 電車の「大男」1人を殺すことは、誰が見ても理不尽なのに、アフガンのヤギ飼いを3人も殺すことがやむを得ないと思えるのは、条件が全く違うからです。
 結局のところ、少数を殺して多数の命を助けるのは「正義」か、という命題が成り立つためには、「他の条件がすべて等しければ」、という前提が必要であり、現実ではほとんど有り得ません。

 どうも、サンデル教授の考える「正義の選択」というのは、机上の空論に過ぎないのではないか、という疑問が生じます。
 あるいは、「例え話」が下手糞すぎる、という感じもします。

 仏教の世界では、原始仏典に見られる釈迦の説法など、ほとんど「譬え」でできているようなものです。
 キリスト教だって、新約聖書にはイエスの「譬え」が満載されています。
 「譬え」「例え」というのは、物事を考えるときに大いに役に立つものですが、前提や設定に間違いがあると、思考や結論をあらぬ方向に導いてしまいますから、注意が必要です。

 批判するだけでは無責任と思われるかも知れないので、「例え話」の改善策を提案してみましょう。
 橋の上で見ている「傍観者」である「大男」を、5人を助けるためなら殺しても良いか?という設定は無茶なので、この「大男」が落とした荷物を拾おうとして線路に入っているが、電車が近づいているのに気がつかない。「大男」は近くにいるので、大声で知らせれば助けることができるが、その先で作業をしている5人の作業員には声が届かない。電車はブレーキも警笛も壊れているが、人を跳ねると自動停車する装置が作動するので、「大男」が死ねば5人は助かる。「小男」は自分を犠牲にして電車を止めても良いと思うが、走っても間に合わない。
 さてこの「小男」は、「大男」に危険を知らせるべきか、それとも5人の作業員を救うために、1人の「大男」を見殺しにするべきか。

 話をこのようにすると、もう少し現実的な選択のように思えて来るでしょう。

 しかし、現実の世界での選択肢、つまり意志決定に関わる情報は、アフガンのヤギ飼いの例のように、ヤギ飼いがタリバンに通報するかしないかは分かりませんし、実際に通報したのかどうかも分かりません。つまりヤギ飼いを殺しても、やはりタリバンに襲われたかも知れないし、後でパシュトゥーン人が助けてくれたかどうかも分かりません。
 命令に従って行動しているアメリカ兵は、自分たちの身を守るために非武装の民間人を殺す「権利」があるかも知れませんが、もちろんそれは「正義」ではありませんし、多数を助けるために少数を犠牲にして良いかという話とは無関係です。
 
 アフガンのヤギ飼いの話でも、危険だからと言って、非武装の民間人を殺すかどうかは、軍の方針として決定すべきことであり、兵隊が多数決で決めるようなことではありません。それを突き詰めてゆけば、どうしてもアメリカのアフガン進攻は正しかったか、というところまで、議論を進めざるを得ないのに、まるで個人の「正義の選択」であるかのように歪曲化しているところに、サンデル教授の「まやかし」を感じてしまいます。
 
 どうも「例え話」は、宗教を布教するときの常套手段で、変に説得力がありますから、騙されないないように注意しないといけません。
 「例え話」が、哲学というか、思考や思索の役に立つのは、前提や設定が正しい場合に限ります。
 それ以外は、ただ自分の論点を有利に進めるための道具でしかありません。
  

 
仏教ー般若心経 | 22:32 | comments(15) | trackbacks(0) |  | ログピに投稿する |
路面電車の仮説と、アフガニスタンでのエピソードと、どうにも話を展開するサンデル教授に責任を負わせるようですが、あなたの宗教的解釈も、密教論理へのこじつけが過ぎるように思われます。

私が文章の全体を読むに、サンデル教授はラトレル氏の誤りを正したいのだと思われます。路面電車の仮説は、「ラトレルの選択」を引き立て、かつ抑えるための前提です。

私が同書を購入した際に付いていた書帯には、宮台真司氏の評があり、「1人殺すか5人殺すかを選ぶしかない状況に置かれた際、1人殺すのを選ぶことを正当化する立場が功利主義だ。これで話が済めば万事合理性(計算可能性)の内にあると見える。ところがどっこい、多くの人はそんな選択は許されないと現に感じる。なぜか。人が社会に埋め込まれた存在だからだ--サンデルの論理である。」

法律学の観点から言えば、路面電車の仮説のように、事故の際に改めて人を死に至らしめる行為は単独で有罪となる可能性が非常に大きく、また、ラトレルの選択のように、戦闘員ではない民間人を戦闘に巻き込むことは、「戦場の掟」にそぐわないのです。

この点において、やはり、命を落とす人数によりけりで安直なラトレル氏の功利主義を、例を用いてたしなめる意味程度に取っても良いのではないでしょうか。(法律学でしたら確かに、「類推解釈の禁止」として、似通った事象を同一にワンパターンに解釈する行為を禁じています。)
| sai | 2011/03/09 7:21 PM | プロキシコメント

管理者の承認待ちコメントです。
| - | 2011/03/12 9:01 AM |

ちゃんと読んだの?
哲学的考えをするための例え話なんだから、現実できた問題は省いて、倫理的な考えの基盤を導き出そうとしてるんじゃないの?
| rina | 2011/08/11 11:59 AM | プロキシコメント

欧米人の多くは、物事は分類すれば片付くと思っているので、抽象化の過程であまり関係性に注意払わない傾向が現れた話だと思う。
哲学の塔に陣取ってあの様な万人受けの単純思考を回している様では、現実のイラクやアフガンで失策を繰り返すのは、さもありなんと思われる。
| acanecat | 2011/09/09 4:56 PM | プロキシコメント

真空状態でそのほか何も運動を妨げる状態がない環境で質量をもつ物体は同じ重力下なら同じ速度で落下する。

という自由落下の法則がありますが、この世に「真空状態」と「何も運動を妨げる状態がない環境」、そして「同じ重力下」。これを満たす環境って、探すだけでもかなり大変ですよね?

あと、近代経済学では、市場に任せておけば価格メカニズムが働いて社会はより良い資源配分に安定するという理論ですが、これは「完全競争市場」が前提です。
完全競争市場とはざっくり言うと、企業は自分で価格を決めることができない。商品の運輸コストはかからない。情報の非対称性がない(みんながすべて同じ情報を共有している)。市場に規制や慣習はなく、市場への参加、退出が自由。などなど


それら厳しい条件を満たすのが「完全競争市場」です。


ちなみにそんな市場あり得ません。


でも、物理学も、経済学も、わざわざそのようなあり得ない状況を作り出すのは、ある事象(物理なら落下現象。経済学なら価格メカニズム)が純粋な状態だとどのようにはたらくのかを知るためです。


要は話を分かりやすくするためにいらないものを切り捨て、いるものをたす。
これが学問の基礎ではないのでしょうか?


それゆえ、学問はたまに現実的ではない結果が出てしまうことがあります。
したがって、その単純な理論にさまざまな仮定をさらに足していき、より実用性のある理論に近づけるのだと思います。


サンデル教授も同じで、
電車の件も、現実にはあり得ないでしょう。
でもそこで発生する(どうしても人を殺さなければならないという)特殊な条件下にすることで、普段うやむやな「正義」や「道徳」を分かりやすく認識できるようになります。

それがこの本の主題でしょう。


実際に本にもそう書いてありますが、そのくらいの文章を理解できないようでしたらもう少し理解が必要なのではないかなと思う次第です。
| 鈴木 | 2011/10/14 11:24 PM | プロキシコメント

こんにちは。
講義者が『問題を思考すること』を課題としているのに対し、『問題を覆すこと』を考えていらっしゃるようですね。
議論の方向性ではなく、議論の場所が異なるというのは残念なことです。
| ばたけ | 2011/10/15 4:52 AM | プロキシコメント


>それゆえ、学問はたまに現実的ではない結果が出てしまうことがあります。
>したがって、その単純な理論にさまざまな仮定をさらに足していき、より実用性のある理論に近づけるのだと思います。


だから、その努力が足りない、下手糞、というか、恣意的で自分の理論が展開しやすい設定をして、無知な学生たちを自分の土俵に誘導している、と言っているのですが、もう少しよく読んでくださいね。
| 南華 | 2011/10/19 9:47 AM |

色んな方が指摘されている事をまったく理解できていないようですね。

つまり哲学的問いかけとして、「多数を助けるために一人を殺すのは善であるか」という問題があって、その問いを考えさせるための例として路面電車の設定を取り上げているわけです。
それを恣意的で自分の理論が展開しやすい設定、と言われてますが、それはサンデル教授が議論したいテーマに即した例え話というだけであって、何が悪いのでしょうか?

あなたは算数の問題を考える知能が無いために無茶苦茶な論法で問題を台無しにしてしまう子供と同じです。

あと無知な学生を・・・と言っていますが、その学生たちは全員あなたよりも知的能力の高いであろう大学生たちですから、そのことをお忘れなく。
| みなも | 2012/01/02 3:09 AM | プロキシコメント


このブログ記事が理解できないのは、よく分かりますが、

ハーバードや東大の学生は知的能力が高い、と、本気で思っているのでしょうか。

まさか、これは冗談でしょうね。
 


>あなたは算数の問題を考える知能が無いために無茶苦茶な論法で問題を台無しにしてしまう子供と同じです。


トーマス・エジソンは、二つの粘土の塊を合わせると一個になると言い張り、1+1=2 を理解できなかったために低能児とされ、小学校から追い出されたそうです。
ところが、1ドルの粘土が二個で2ドルになることは理解できたと見え、事業に成功して金持ちになり、大学出の技術者を大勢雇って研究所を設立し「発明王」と呼ばれました。

わたしは、エジソンと同じ、ということですか。
金持ちになれますね。
| 南華 | 2012/01/10 11:01 PM |

 なんだかよく分からないんだけれど、
 経済を正義感で語ることに違和感を覚えます。

 まず、「経済」は何のためにあるのでしょう?
 その目的に適っているか? 適っていないか?
 ただそれだけの区別で良いのではないでしょうか?

 私は、経済を流通を促進させるためのシステムだと理解しています。
 それを考えた時、一般労働者の300倍の所得を経営者が得ていて、
 それを消費に回すことなく、税金でも回収することなく積み上げていったら、
 いつか資金の偏在化が起こり、経済が廻らなくなるのは当然の帰結でしょう。

 つまり、高所得者の蓄えている資金を、強制的に消費に回すか、税金で回収し
 再配分をするか、インフレーションで価値の低下を起こさない限り、経済は必ず廻らなくなる。
 ということを現在の世界は教えているに過ぎないのではないでしょうか?
ねこって | 2012/01/11 7:27 PM | プロキシコメント


それなら、田中康夫氏らの提唱する、ベーシックインカムの導入に期待すべきですね。

所得税率一律30%で、全国民一律に毎月5万円支給すれば、金持ちのモラルに期待しなくても、消費はどんどん伸びますし、年金や子供手当てがなくても、少子高齢化問題も解決です。
唯一の欠点?は、官僚や政治家などの旨味が無いことでしょうか。
金持に重税や消費を強制するのと同様に、実現が困難な制度ということになります。

結局、5人を取るか・1人を取るか、などとモラルの問題のように装うだけで、選択権を持つ者たちは自分たちに都合の良いことしか選択しません。

マスコミを使って大衆を騙すのは簡単なことであり、ハーバードや東大の学生などは、最初から選択権を持つ側、つまり勝ち組を目指す輩ですから、これまた赤子の手を捻るように言いくるめられてしまい、学問など何も身につきません。

| 南華 | 2012/01/11 9:33 PM |

 南華様は、どうも、5人を取るか・1人を取るか、の
 モラルの問題としたがっているようですが、

 経済の目的に適っているか居ないかの問題ではないかと
 私は言っています。

 そして、流通する通貨が消費に戻らずに滞ることが
 経済の目的に適っていないと言っています。

 で、消費税30%というのは、
 目的の適った対処方法でしょうか?

 その場合、流通する通貨の「偏在化」という課題は
 手つかずのままです。

 つまり、偏在化による経済の停滞を遅らせる効果はあっても、
 根本的な対策にはならないはずです。

 あくまでも、モラルからではなく、
 目的に適った対処をしなければ、結果は得られない
 と私は言っているのです。


 いずれにしても、
 自分の利権を守りたい者達は、
 当然のごとく、
 「平等」という価値観を振り回して
 護身を計ることは確かですが、
 その土俵に載ってしまったら、目的を外します。



 強いて、「平等」という価値観を考えるなら、
 競争で得た結果を平等に分配するという考え方よりも、
 競争の前に、これまで培われてきた「社会資本」を平等に分配し、
 その上に競争があると考えるのが平等ではないかと
 平等については考えるべきではないかと思います。

 現在は、世界の中であらゆる産業が生みだしたオートメーションによる
 働かなくても生きていけるという恩恵を、
 一部の勝ち組だけが独占しているという不平等状態です。

 貧しいものは、人余り、者余りの中、
 「働かざる者食うべからず」という価値観を押しつけられ
 今日の生活もままならない状態で生きており、
 一方、一定の資金を得ている連中は、
 たまに、株価為替のチャートを見て売り買いするだけで
 その利子により、全く働く必要がなく、楽ちんな生活をしています。
 その彼らが、貧しい人達に「働かざる者食うべからず」
 という価値観を押しつけています。
 「働かざる者食うべからず」というならば、
 資産階級の資産を国に返してもらって
 彼らにもしっかり働いてもらうべきではないでしょうか?


 その意味で、国民配当(ベーシックインカム)は、
 オートメーション化で生みだした社会資本を平等に分配するという
 機能を担うシステムになり得ます。

 その基礎の上で競争し合い、
 その結果得たものをその条件の下で分配するのであれば、
 「平等」という言葉も少しはしっくりきます。
ねこって | 2012/01/12 10:35 AM | プロキシコメント


消費税30%ではなく、所得税30%です。

所得の無い人は払わなくても良いのですから、非常に適正です。
例えば4人家族で800万円の所得があれば、所得税額は240万円で、還付金額は年に240万円となり、ちょうどトントン、ということになります。
つまり、概ね1千万円以上の所得のある世帯が、所得の少ない世帯の還付金を賄う計算になります。
所得とは、社会から得た利得ですから、所得の多い人が、社会を維持するために多くを負担するのは当然のことで、「平等」である必要はありません。

消費税については、もし存続させるなら、消費段階のみの課税とし、中小零細製造業者から詐取される輸出戻し税のような、不当な利得を与えないようにするべきでしょう。
もちろん、贅沢品の税率は高くしたり、日用品を扱う零細小売業者を免税とするなどの対策も重要です。

例えば、1000万円以上の新車に30%の消費税、ただし中古車はすべて免税、これなら大歓迎です。

「働かざる者食うべからず」だったら、消費は減る一方で、デフレ、不況が深刻化し、資本家側だって利得が減少するのですが、彼らは金融資産の蓄積があるから、相対的に得をしているような錯覚から逃れられません。
あげくに、サブプライムモーゲージのような、滅茶苦茶な金融商品を発明して自爆したり、さらにそれを利用して大儲けする輩もいたりと酷いものですが、
経済の目的に適っているか、と言われれば、儲かる奴もいる以上、目的に適っているとも言えるし、全体から見れば不利益の人のほうが多いから、適っていない、とも言えるでしょう。
すると、やはり1人を取るか・5人を取るか、というモラルの問題のようになりかねません。

しかしながら、資産階級の資産を国に返して貰う、というと、要するに企業の国有化ですから、電力などの独占事業以外は、あまり有効とは思えません。
電力だって、送配電分割、非独占化が望まれています。

資産の再配分方法として、日本の相続税は非常に重く、西武ですら脱税に失敗するくらいで、本来なら十分に有効だったのですが、金融資産のグローバル化により、武富士の息子みたいに課税を逃れる輩も出てきました。しかしそれよりも問題なのは、回収するだけで再配分しないことにあり、結局ベーシックインカム以外の解決策はほとんどありません。
| 南華 | 2012/01/12 4:26 PM |

 所得税30%だったっんですね。
   失礼しました。

 ただ、もし、一律30%だったとしたら、
 あまり意味がないかと思います。

 昭和30年代ぐらいの累進課税が私は適切だと考えています。
 もし、所得税を一律にするならば、
 それ以上に、消費に廻らない通貨に対しての
 トービン税を実施する方が適切だと考えています。

 投資や投機といった消費に回す必要のない
 バクチに廻すような余っている金なのですから、
 税率は高くても問題ないと、私は考えています。

 全ての人に生活を保障する国民配当(ベーシックインカム)を実施したならば、
 相続税は、更に高いものにしても問題ないんじゃないかとも思っています。

 他国(ヨーロッパ諸国やアメリカ)では、この相続税が安すぎることで、
 通貨の偏在化が余計に深刻になるのだと思います。
ねこって | 2012/01/12 6:20 PM | プロキシコメント


税率が一律だからこそ平等感があり、30%だから、海外に逃げないのです。

日本で、資産を貯えているのは、内部留保する企業だけで、それも至って薄っぺらいものです。
その証拠に、トヨタ自動車など、アメリカでバッシングされたら、たちまち流動資産(現金)が不足に陥ってしまいました。

鳩山家などは金持ちと言われていますが、たかだか一千億円くらいのものであり、株安で目減りし、相続となったら半減、下手をすると、売り払っても相続税を払いきれない場合すらありますから、海外に移動して課税を逃れたくなるのも無理もありません。相続税など無い国のほうが多いのですから。

1人月額5万円あれば、親子5人が暮らすには足りる金額であり、生活保護も子供手当ても要りません。家族が多いほど有利ですから、少子化問題も解決できるでしょう。
それが一律30%の所得税で賄えるのですから、何も税率を高くする必要はないのです。

福島を見ても分かるように、日本人はなかなか故郷を捨てることができません。だから30%の所得税なら、逃げないのです。

よく、金持ちにも一律配当するのはおかしい、などと馬鹿なことを言うデマゴーグがいますが、どうでも良いことです。

モラルだの平等など、どうでも良い事で、社会が円滑に回りさえすれば、投機で儲ける人がいてもなんの問題もありません。

投機とは、元々機織(はたおり)に投資する、という意味であり、リスクが大きく、古代から無一文になったり債務奴隷に転落する人が絶えません。

投機が無くなったら、あらゆる製造業も終わりであり、もともと「ものづくり」の歴史は投機の歴史でもあります。

投資家がリスクを負っているのに較べ、官僚と来たら、自分たちはリスクなしに、国民の金を使いまわして、莫大な利得を上げています。

ベーシックインカムの利点は、官僚が使いまわせる金も大幅に縮小できるというところにもあります。
| 南華 | 2012/01/12 9:17 PM |

当時はもっと多くのプロキシコメント?が投稿されたのですが、今残っているのはこれくらいです。何が目的でそんな事をしたのかは不明です。

張明澄師

南 華 密 教 講 座

 DVD 全76巻 

各巻10,500円

  講義内容 
第1回

 西遊記・第1回・石から猿が生まれる=頑石・心猿

 無我・有(分類)・空(関係)・識(認識)・密(密教=緊密)

 南華密教・経典・功夫・実学・秘術

 南華密教講座 第一回《有・空・識・密》講義要録

第2回

 西遊記・心猿意馬・閻魔大王・如意棒
 仏教の智慧・中道・倶舎・空観・唯識
 実学・天(自然科学)・地(生命科学)・人(人文科学)・群(社会科学)

 南華密教講座 第2回《中道・倶舎・中観・唯識》講義要録

第3回

 仏教から見たら五術は無価値・密教では役に立つ部分だけ使う・1995年の測局ー密教的な見方=子平=元会運世

 阿含・法句、般若・金剛、解深・楞伽、法華・華厳・円覚

 西遊記・六人の盗賊(性欲への怯え)観音禅院(ニセ仏法)

 南華密教講座 第3回 五術の価値 観音禅院 講義要録 

第4回

 五術の限界・あらゆる欲望を叶えて欲望を消す密教

 西遊記・経典研究者・功法実践者・戒律守持者・寺院経営者・人参果を盗むー政治力では中国の仏教は道教に負ける・キリスト教など他の宗教と無暗に対立しないこと

 八大楽=清浄・無為・神通・中諦・洞察・照見・誠意・随心


 経典・・阿含経・法句経・雑阿含経=莫会我異於世人


 禅・・鈴木大拙=非理性=悟りのためなら猫を殺しても良い・胡適=超理性=悟りのためなら猫を殺しても良いとは言えない・南泉を批判した趙州の行動・南泉はアルツハイマー?

 南華密教講座 第4回 南泉斬猫 雑阿含経 講義要録

第5回

 西遊記・白骨夫人(殉教死を免れる)・法句経「不嬈色香」・奎木狼=欲望や野心・解決法=空を悟る=『般若心経』を読む「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色 受想行識 亦復如是」これが呪文あとは不要

 功法・・調身=食餌・操動・熱寒実虚の体質に合った食餌

  実学・・干支・卦爻=記号類型学

 南華密教講座 第五回 「空」と「関係」 般若心経の正しい理解 

第6回

 時事・オウム現象・真諦・仮諦・中諦・作諦?誘諦?

 実学・史学=盤古族ー黄帝・堯舜禹=夏王朝・山東大漢・殷・周・春秋戦国・秦の統一・八卦=数字・干支=時間記号・声・熱・力・磁・精・光・気


 功法・調身ー地・雷・水・沢・山・火・風・天

第7回

 西遊記・金角・銀角(金銭の誘惑)・金剛経「夢幻泡影」

 実学・・還元主義ーアトム・化学ー干合・支冲・支合・生命科学ー大脳・視床下部・神経・分泌・免疫

 経典・・金剛経

第8回

 西遊記・青毛獅子ー功法修行者は権威に盲従しない

 経典・・解深密教・遍計執相・衣他起相・円成実相

 実学・・生理学(免疫・ガン細胞)

 功法・・調気ー肺経・心経・心包経・小腸経・三焦経・大腸経・膀胱経・胆経・胃経・脾経・腎経・肝経

第9回

 実学・・生命科学・五体=力・精・気・神・識・・医学・中医学の根本原理
 西遊記・聖嬰大王ー子供じみた純真さという障害=三昧真火

第10回

 経典・・楞伽経ー「従愛生諸陰 有皆如幻夢 計著於自性 従諸声聞生 超度諸心量 如来智清浄」人は執着するからその心からいろいろな世界が生まれてくるが、その自分を含めたすべての存在は夢や幻のようなもので、有とか空とか自性が無いとかいうのも声聞の考え方で、そのような考え方を超えてこそ清浄な如来の智と言える。

 功法・・・小周天・五体論・三宝・十二経絡・臓象           調気ー連続動作

第11回 西遊記・・鼉竜王子ー魏徴が夢の中で斬った竜王の息子・黒水河=全く智慧が無い=人の言うことを聞かない
 経典・・・法華経ー誰の言うことでも一応は聞いてみるべき
 実学・・・証=熱・寒・実・虚・・癌細胞=標準細胞ー極端な虚証や熱寒体質を改善できればガンも治ってゆく・確実に治すなら小周天や内火を行う
 功法・・・調気の連続動作
第12回 実学・・糖尿病ー三種のうちの2.視床下部が糖質に鈍感な場合山薬などの特殊糖体の処方で改善する
 功法・・持戒・持行・調身・調気・煉気(小周天)・煉神(内火)・禅定(幻身・修夢)・三昧(中陰・転移)
第13回

 西遊記・車遅国の三力大仙ー権勢・禄位・名声ー功法修行者だけが打ち勝てるー止と観と止観ー存在と現象の真相をじっくり観察することは迷いや惑いに勝つ大切な修行法であり最高の理解を啓発する認識法

 五体ー力・精・気・神・識ー前五識(受=陽神)・意識(想=陰神)・末那識(行=陽識)・阿頼耶識(識=陰識)
 実学・・高血圧ー降圧剤で呆ける

第14回

 西遊記・通天河の霊感大王ー霊感とは超常現象を信ずることー霊感大王=役に立たない金魚・オウム真理教などー観音菩薩=自在心により騙されないー魚籃観音
 養生気功ー天丹・人丹・地丹
 実学・・アトピー=アレルギー・免疫グロブリンE・肥満細胞が壊れてヒスタミンを出すー気管支喘息・アトピー性皮膚炎

第15回

 宗教=一教十三宗=仏教・学問的には宗教=国家・・仏教=悟り・知行合一=智慧が必要

 経典・・天台小止観「定慧力荘厳 以此度衆生 若偏修習 即堕邪倒 偏修禅定福徳 不学智慧 名之曰愚 偏学智慧 不修禅定福徳 名之曰狂」

 平成8年世界の測局・日本の測局・経済学

 実学・・肥満ー過食・欲求不満・運動不足・食餌療法ー食べたい時だけ食べたい物だけ食べたい分だけ食べる

第16回

 経典・・唯識論ー立場によって事実が異なるが霊感や超能力が役に立つことは無いー万物万象は人間が作り出したもので実際にどうなっているかは知ることができない・・情報・知識・智慧・覚悟=知行合一 

 功法・・大周天ー中脈と七関輪=海底輪・丹田輪・神厥輪・膻中輪・重楼輪・印堂輪・泥丸輪ー生存・生殖・生活・情報・知識・智慧・覚悟

 西遊記・・独角兕大王・青牛・如意圏・金剛琢・芭蕉扇

 実学・・人間科学・いのち・カルシウム・骨・霊長類・チンパン人

第17回

 西遊記・独角兕大王の金剛琢=絶対的真理という頑迷ー太上老君の芭蕉扇=老荘思想で解きほぐす・・・天台小止観「欲修止観具足五縁」

 実学・・人間科学・チンパン人・未熟出産ーつがい=一夫一妻

第18回

 西遊記・玄奘三蔵の実像・四大認識構造・四分説ー相分・見分・自証分・証自証分
 解陽山の如意神仙ー鬼胎=隠し事・知られても平気と気づくこと 

 実学・人間科学・チンパンジーから人間への進化=特殊条件・恋愛・結婚  

第19回

 西遊記・解陽山の如意神仙・武則天『華厳金獅子章』
 三大認識構造=三境=独影境・帯質境・本性境

 実学・・人間科学・人間の欲求・各取所需=マルクス主義・各取所値=シャンバラ/ナチス・各取所得=資本主義

第20回

 実学・・人間科学(本能=生存・生殖)

 西遊記・毒敵山の琵琶女妖=蝎ー倒馬毒=心毒ー観音や釈迦でも勝てないが昴日星官には負ける=秘密が無い
 経典・・『華厳金獅子章』約三章第三「獅子情有名為偏計 獅子似有名曰衣多 金性不変故号円成」

第21回

 経典・・華厳金獅子章ー弁色空・約三性ー分別性・依多性・真実性
 功法・・大周天=煉気化神・内火の方が簡単で効果的

 実学・・心理学ー図形の見方

第22回 語学ー体語・言語
 動語の見方ー髪・頭・面・目・耳・鼻・口・顎・頸・肩・臂・手・胸・背・腹・腰・腿・脚・・大日如来ー目
第23回 西遊記・偽物の孫悟空=偽の功法=オウムなど気功・宗教・心霊・超能力を売り物にする
 功法・・カギュ派六法ー内火・幻身・修夢・光明・中陰・転移
第24回 功法・・神功ー加行・根本・実験
 実学・・群・社会構造・古代ー巫→統→採→丑
第25回

 南華密宗真言・・天文第一 ・地輿第二・・・・・・・・・・・飲食第二十

第26回

 唯識・・なぜそう見えるか

 実学・・日本=没遊牧性ー天皇制・高貯蓄・尊和睦

 西遊記・牛魔王・火焔山・芭蕉扇ー内火などの功法を完成しつつある人間に起こる問題ー霊吉菩薩と哪吒太子の力を借りる

 実学・・心理学ー図形と色彩

第27回

 時事・・現在の世界状況を見るー日本は特級破滅国家

 西遊記・祭賽国・宗教が儀式や祭典でお金を集めることー二郎真君と真犬真狗が助けるー耳朗神全

 実学・・色彩による心理学ー色彩の十干分類

第28回

 西遊記・荊棘山の十八公=鬆みー経典研究者が陥る障害

 経典・・理趣経「説一切法清浄句門所謂 妙適清浄句是菩薩位」

第29回 時事・・・世界状況の把握 日本人の特徴 偶像崇拝
第30回①西遊記・・・仏教の矮小化
②理趣経・・・出生般若理趣・金剛平等・義平等と義理
③実学・・・本の読み方 世界の問題
第31回①理趣経・・・滑らかな不倫。抄録 第2章,3章
②実学・・・社会科学。社会発展法則(社会全体について)。日本の現状(大神話の崩壊と今後)
③功法
第32回①実学・・・社会科学(三大神話の崩壊の中で得する方法)
②西遊記・・・第67章「執着と堕落」(執着→悟空が八戒に勝る場合 堕落→八戒が悟空に勝る場合)
③経典・・・理趣経第4章、5章、6章(滑らかな不倫と不倫の中の清らかさ)
第33回①西遊記・・・第67章「七絶山ー大蛇妖怪」(執着→悟空が八戒に勝る場合 堕落→八戒が悟空に勝る場合)
②理趣教・・・第4章、5章、6章(滑らかな不倫と不倫の中の清らかさ)
③功法
第34回①理趣教・・・第6回(仏として生まれた仏はいない)
②実学・・・社会科学(富と力の変移への対応)
第35回①西遊記・・・第68章(得意の絶頂という障害)
②理趣経・・・第7章以後(空と無相と無願)
③功法
第36回①経典・・・理趣経第9章,10章(どうすれば仏は喜ぶか)
②実学・・・社会科学(これからの日本と私達の対応の仕方)
③西遊記・・・第68章(仏の道の中の大きな障害・しがらみと世間の目)
第37回 
第38回①西遊記・・・獅駝嶺の三大妖怪(人生三大障害を乗り越える方法)
②理趣経・・・悟りへ導く智慧(悟りは無量無辺で法は一性究竟)
③南華功・・・調身調気と煉気(八卦功と十二経絽功と小周天)
第39回①理趣経・・・悟りへ導く智慧(悟りは無量無辺で法は一性究竟)
②実学・・・地学と地理(風土と風水)
第40回①西遊記・・・比丘国(祿位と胡為の誘惑)
②理趣経・・・第17章(究極の密教)
③功法・・・(内火の復習)
第41回①理趣経・・・第17章(究極の密教)
②実学・・・風土と風水(究極の密教)
第42回①西遊記・・・(ドブ鼠の輩)
②華厳経・・・入法界品(まごころとやさしさ 思いやりは仏の道に勝る)
③功法
第43回①功夫・・・唯識と法相功法
②実学・・・穴形と六大都市
③外道・・・五常と四維三倫
第44回①儒家処世術・・・四維と三論
②西遊記解説・・・滅法と強覇
③経典総復習・・・阿含と法句
第45回①実学・・・陽宅と間隔(家相学)
②西遊記・・・勧善と督善(鳳仙群)
③経典・・・金剛と楞伽(空と識)
第46回①時事課題・・・少年少女の暴走=飢餓
②西遊記・・・宗教価値の基準=救苦
③実学・・・世界文化の発生=近東
第47回①西遊記解説・・・宗教価値の基準=救苦
②実学史学・・・世界文明の起源=近東
③時事課題・・・小淵内閣の本質=禿鷹
第48回①西遊記解説・・・厭労苦戒
②経典研読・・・円覚経
③功法導論・・・修夢
第49回 
第50回①実学・・・地中海
②西遊記・・・月兎精
③経典購読・・・円覚経
第51回①時事解説・・・バブルとデフレ
②西遊記・・・濡衣と冤罪
③経典・・・円と覚
第52回①西遊記・・・銅台府
②経典・・・円覚経
③功・・・修夢功
第53回①功・・・修夢功
②実学・・・ローマ
③西遊記・・・凌雲渡
第54回①西遊記・・・大団円
②経典・・・円覚経
③実学・・・ローマ
第55回①実学・・・ローマ
②秘術・・・陀羅尼
③経典・・・円覚経
第56回①功法・・・光明功概説
②実学・・・民族大移動
③秘術・・・真言阿羅尼
第57回①実学・・・民族大移動
②秘術・・・真言陀羅尼
③経典・・・円覚経真解
第58回①経典・・・円覚経真解
②功法・・・六法光明功
③実学・・・ヨーロッパ
第59回①功法・・・六法光明功
②実学・・・ヨーロッパ
③秘術・・・ボン教入門
第60回①経典・・・円覚経真解
②功法・・・中陰度亡法
③実学・・・長江と黄河
第61回①実学・・・三国
②経典・・・円覚
③功法・・・転移
第62回①経典・・・円覚
②功法・・・転移
③実学・・・隋 唐
第63回 
第64回 
第65回①功法・・・中陰度亡
②実学・・・唐宋金元
③経典・・・金剛経解
第66回①実学・・・唐宋金元
②経典・・・金剛経解
③功法・・・転移布哇
第67回①経典・・・金剛経
②功法・・・転移法
③実学・・・宋・元・明
第68回①実学・・・清 朝
②経典・・・金剛経
③功法・・・神功入門
第69回①経典・・・金剛経
②功法・・・神功入門
③実学・・・日本の誕生
第70回①神の病候
②日本の誕生
③金剛経解
第71回①飛鳥奈良平安
②金剛経解
②神 変
第72回①金剛経解
②神功功法
③三大幕府
第73回①三大幕府
②金剛経解
③神功功法
第74回①世界大戦
②金剛経解
③神功功法
第75回 
第76回 
 
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 内火 200,000円 210,000円
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 中陰1 200,000円 210,000円
 中陰2 200,000円 210,000円
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大手印 400,000円 420,000円
楽菩提法(大手印秘術1) 300,000円 315,000円
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受講資格不問単巻での購入も可能です。


 

 

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 タイトル   税込価格
 開光点眼秘儀(守護仏入魂法) 100,000円 105,000円
 除霊法 100,000円 105,000円
 仏教の根本原理と祈祷(水子霊供養) 100,000円 105,000円
 霊符 実践法 100,000円 105,000円

*受講資格=「守護仏」及び「内火」受講以上の方




[本教]特別講座  

 タイトル   税込価格
1本史・本法・三節法・攤尸法・離体法 200,000円 210,000円
2透身三脈・光明功・沐浴功 200,000円 210,000円
3離体法・開頂門・九注住 200,000円 210,000円

*受講資格=「内火」受講済みの方


お申し込み先  

日 本 員 林 学 会  

代表 掛川掌瑛(東海金)

                                            ☎Fax 0267-22-0001

                     〒384-0801 長野県小諸市甲4655-15 中国占術研究所

                                        E-MAIL    showayweb〇msn.com 

                                       ご利用可能なクレジットカード



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